風俗業界の時代遍歴

江戸時代の風俗について

遊郭と遊女達の一生

江戸時代、城の近くで女郎屋を営んでいた男が幕府にビジネスとして陳情書を出したのが風俗誕生の始まりだと言われています。 幕府からある一角を与えられ、そこで外国から来た要人達を接待したり幕府からは上納金を受け取るようになったりと一大ビジネスになっていました。

一人の男による陳情がきっかけでした

江戸城よりもはるかに上回るほどの大きな敷地の中に数多くの遊郭が存在していました。
そこに来る女性達の多くは、家の借金のかたに売られて奉公として5歳から15歳までの女性が共に生活をしながら遊女としての品格や教養を学んでいました。当時の風俗には出入り口は一つしかなく、そこには大きい門があり、それをくぐると外にはめったに出られない所でした。

年期と呼ばれる働く期間が決まっており、たいだい、27歳前後まで働くそうです。
しかし、多くの女性達はその年期を待たずに病気や性病に侵されて若くして命を落としていました。

遊郭では、遊女にもランク分けがされており一番上は花魁と呼ばれており専用の部屋を持っていました。
花魁には誰でもなれるわけではなく、一部のほんの一握りの女性しかなれない当時ではカリスマ的な存在であり、女性達の憧れの職業の一つでもありました。

小さい頃はその花魁の身の回りの世話をしながら知識と教養を見て学ぶそうです。
年頃になる不特定多数のお客を取らされて、昼も夜も働きづめになります。

過酷な労働環境の中で遊女達は懸命に毎日を過ごしていました。
遊郭に来る客層は、江戸時代中期から幕府の役人や一般でも裕福な商売をしている商人や海外からの要人でした。
その為、遊女たちは教養だけではなく、茶道や和歌などあらゆる勉強をして見染められる事を目標にしていました。
美貌と才能ある女性のみが花魁になる事が許されておりその場合には今では考えられない位のお祝いパレードも開かれていました。

多くの遊女達は、一度も家に帰ることなく遊郭で一生を過ごしたそうです。
晴れて帰れるのは、病気になった場合か、死に至った時です。

ですが、江戸後期になると遊郭で大火災が発生し事実上消滅する事になります。

独特のしきたりが存在

花魁と肌を触れ合う為には、最低でも3回は遊郭に通わないといけませんでした。 宴会代や祝儀もお客が持つ為、馴染みになるまでには時間とお金がかかりました。 他の遊女と遊ぶ場合にも、同じ遊郭内で浮気はご法度でした。 遊女が忙しい場合、遊べなくても料金はきちんと支払うシステムでした。

遊郭は恋や愛について学ぶ所でした

元々、遊郭は性の切り売りをしている場所ではありませんでした。 当初は、男性が色恋や愛について学ぶ所だったそうです。 それが、江戸中期になると性欲を満たす場所として幕府が容認するようになり、風俗産業化のきっかけとなりました。 ここから風俗は、ビジネスとして見られるようになりました。

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